「満州国」中学校の「国語」教科書の分析

2018-08-30 20:16符旖恩
成长·读写月刊 2018年8期
关键词:神道教科国民

【要 旨】「満州事変」の後、日本が中国の東北地方における植民地支配を強化するため、「満州国」を作って、多くの東北民衆に14年の奴隷化教育を行い、特に青少年を重点対象として「教化」した。教科書は学校教育で最も重要な部分で、日本の目的と野望の「粋」が凝縮されていた。そのために、日本は教科書の編纂に力を入れて、学校教育を積極的に遂行した。文章は神道に関する文章を中心として、「満州国」漢民族中学校の「国語」教科書の内容を分析した。

【キーワード】教科書;日本;植民地;「満州国」;神道

「満州国」を作った後、日本は東北地方で軍事、政治、経済、文化、娯楽などの分野で、当地の住民に全面的な制御を行なったのみならず、教育の面で重視し、特に青少年の教育を重要な位置に置いた。

当時、日本は「満州国」を操って、たくさんの植民地教育方針を策定し、実行した。その上、思想上の奴隷化教育を強調し、中国封建社会の「王道主義」と日本の「惟神の道」(皇道)を結合して、東北の青少年に「皇帝陛下」を服従し、日本の天皇を崇拝する思想や、敬神畏天の意識を伝えた。その目的は、「日満一徳一心」、「国民精神」や「王道楽土」というスローガンを広く宣伝し、青少年を「順民」として育成することであった。

一、「満州国」で実行された学校教育の概況

日本は「満州国」の政権を育成したばかりに、教育を東北侵略の一つ重要な領域として重視していた。武力だけで東北人民を征服することはできない。教育を行わなければ、東北人民の思想を完全にコントロールできず、植民地支配に障害となる。「学校は教育の中心、其の盛衰は国家の隆替と関わっている。教育の本質は人格の陶冶。人格の陶冶には、諸国民意識の確立を待たさなければならない。」[1]という方針はその証拠である。こういう「国民意識」は、まさに当時日本が広く宣伝した「国民精神」や「民族協和」などの思想である。その目的は「忠良なる臣民」育成することである。したがって、戦争を拡大し、植民地を支配するため、日本は一連の措置を取った。

まずは以下のような奴隷化教育の方針を策定した。

即其已成之设施,施以相当之感化,使王道普及之精神,徐徐灌注于民众教育及幼年教育之中,则一数人民威明了于我建国之精神与王道之义,然后一切新的设施,自易推行矣。所谓新的设施者何?即实行王道教育之具体方针是也。我满洲建国既以王道为极则,则教育方针亦应以是为正鹄。[2]

この「王道教育」の本質は、民族観念を消すことによって、学生たちの反抗意識を弱めることである。そして、具体的な手段を使って教育の効果を強化し、前術した方針に基づいて、「日満一徳一心」、「王道楽土」を宣伝した。また、教科書を改編し、学校課程の配置や学制までも変えた。太平洋戦争が発動した後、更に「勤労奉仕」を提出し、当地の住民に様々な労役を強制的に服させられた。学生たちも免れなく、毎週必ず定時定量に労役を完成しなければならない。その上、学校教育の内容においては、「建国精神」の習得を強化した。その基本思想は「日満一徳一心」と「民族協和」で、本質は人々に天照大神を尊敬させ、日本天皇を服従させ、日本の統治を擁護させることである。こういう「建国精神」は校内のあらゆる面に浸透された。例えば、学生たちは通学途中で神社を通りかかったら、あるいは校內で日本天皇と皇后の写真を祀った「奉安殿」を見たら、帽子を脱いで敬礼しないといけない。毎日朝礼で「建国体操」をし、放課前は「終礼」で一日中の行為を反省した。その他、入学日、萬寿節、建校記念日、訪日宣詔記念日、日本の紀元節、明治節など、いろんな「式日」で典礼を行い、典礼で「建国精神」を繰り返して宣伝し、学生たちに強制的に覚えさせた。[3]「国語科」という科目の教科書にも、「建国精神」を含む文が少なくない。

このように、国家神道の表現である「建国精神」は、「満州国」学校での重要な位置づけが明白である。

二、中学校[国語]教科書の構造

「満州国」漢民族の中学校で使用された「国語」教科書は、普通の知識を教える他、軍事、政治、時局、神道などの内容も多く含んでいた。統計によれば、『「満州」植民地日本語教科書集成7』の中に、1935年に使用された初級中学校の「国語」教科書は上、中、下三冊に分けられる。体裁は完備で、内容も豊かであることから、日本は実に植民地教育を重視したことが分かる。具体的な体裁配置と文章内容は以下の表1と表2を参照されたい。

表1から見ると、中学時期の真ん中にある上冊第二篇と中册が、六つの体裁が全部揃っていた。中学校に入ったばかりの学生たちに使用された上冊には、多くの対話類文章を設置した。そして、勉強の程度が深かければ深いほど、説明文と叙述文の数が増えていたことも分かる。

表2から見ると、内容の面において、国家観念、時局体制や神道概念など、戦争と密に繋がる知識のある文書は、かなり大きな割合を占めていた。また、こういう文章の数も、どんどん増えていた。国家概念を含む文章は、上冊の『国旗』、中册の『國都』、下冊の『建国宣言』などがあって、軍事内容を含む文章は、『楠公父子』、『乃木大將』、『観兵式の歌』などがあり、神道に関する文章は『国民精神』、『大詔を拝す』、『体育大会』などがある。手紙の書き方法を教える文章にも、最後に落款を入れたところで、「忠孝」という名前の例を上げた。[4]つまり、中学校の「国語」教科書の中で、神道内容を普通の知識の裏に隠して教える文章は、小学校の文章と比べれば、もっと曖昧なである。一方、正々堂々と神道を教える文章も増えたのである。

三、中学校日本語教科書での神道内容

中学校の「国語」教科書は小学校のより、奴隷化程度が深くなるという事実が分かった。これは、受容性に富む中学生が、理解力が小学生より強く、頭も小学生よりはっきりしているからである。こういう対象には、神道の神話や基本知識を教えるのではなく、神道の精神やその精神を代表するものをまとめて伝えるのである。すなわち、日本は学生たちに日本語を早く身に付けさせるため、完備な文章体裁で教科書を編纂した。教科書の受け手によって、適切な教科書を使って、段階的に、神道思想を浸透させた。以下は一つ代表的な文章の内容である。

建國宣言

満州國建國宣言は、大同元年三月一日、我國曠古の大典たる建國式の當日発表されたものであつて、堂々千餘字に亘る痛烈なる大文章である。先ず満蒙の歴史· 富源· 民風より説く起し、民国成立以来、軍閥の暴り、政治の腐敗其の極に達し、人民の苦悩將に死を待つのみの状況に及んだことを述べ、遂に天命に依り、善隣日本の力を借りて醜類を駆り、積弊を一掃して更始一新の機會を得たことを述べ、更に民国国民党政治の失敗を論じ、其の形勢の趨くままに放任するときは、全く自滅の他なき実情にあることを主張し、進で三千萬民衆の餘論は、「満蒙が既に舊時に於て一国を為したる歴史に鑑み、別に新国家を樹立して其の理想を実現するに如かず。」との結論に達したことを述べ、兹に其の総意を以て、断然民国との関係を脱離して満州国を創立することを宣告してゐる。

次に新国家建設の大綱たる内治外交の主義製作を列挙し、新国家の政府はこれに対する全責任を負ふべきことを誓ひ、最後に「天地昭鑑この言を渝するこなし。」と結んでゐる。

今其の建設綱要を要約するに、內は順天安民を以て政治の大本となし、民意尊重·種族平等·人権保障·法制改善·自治勵行·人材登用·実業奨勵·金融統一·富源開発·匪禍肅清·教育普及·礼教尊崇等あらゆる施政の方策を掲げ、王道善政を実行して世界政治の模範と為さんと結び、外に対しては、信義尊重·条約厳守·門戸開放·機会均等等挙げつ、廣く和親協調の精神を宣示してゐる。

かくの如く我建国宣言は実に公明正大にして、天地神明に通する大宣言である。これによつて萬代不易の我満州国の國是定まり、これによつて王道善政が施かれつつあるのである。

爾来三年有餘の今日、我國勢は実に世界史上に類例のない長足の伸展を示し、王道楽土の実験は期して待つべき情勢にあるのである。

して心得ぺき事柄も決して少なくないのであるから、我々は、この建国宣言の精神に基き、一層奮勵努力して、真に世界に模範たる国家を作らなければならない。[5]

国民精神

現代の世界では、どんな民族でも、国家といふまとまつた組織をもたなければ、社会の文化も進まず、日常生活も決して安全でない。学校を建てて、我等を教育し、官庁·警察·軍隊其の他、種々の機関を設けて、社会の安寧、秩序を保ち、国民の生命·財産·名誉を保護するのは、全く国家といふ大きな組織の力である。国際競争の烈しいっ今日、自国の独立を完うして行くには、国民全体が一つことになつて國の為に盡くす精神が必要である。之を国民精神を名づける。

世界何れの国家に於ても、それぞれ国柄によつて此の国民精神が長い間に養はれてゐるが、此の精神が特に強く盛なのは日本である。日本は神代の昔から、万世一系の皇室を中心として一大家族の如く繁栄してゐる国であつて、その君臣の関係は恰も父子の関係のやうである。歴代天皇の大御心は親心にも優れつてした萬民を赤子の如く愛撫し給ひ、又国民は天皇を親の如く敬し慕つて、代々忠君愛国の赤誠を盡くしてゐる。而して、此の精神は三千年の昔から今日に至るまで、親から子に、子から孫に、連綿として傳えられ、古来之を大和心又は大和魂と稱へてうゐる。勿論他の諸外国から各時代に色々な思想が輸入されたが、此の国民精神は少しも傷つけられることなく、益々その強さを増してゐる。日本がよく東西両文化を調和して驚くべき大発展を遂げつつあるのは、此の比類なき国体を、かく如き国民精神のあるがにめである。

国民精神は国民の活動をはげますものであるから、此の精神が剛健であれば国家は栄える。之の反しても国民精神が弱く衰へれば、其の国力が充ちて奮勵努力する人が立身出世するやうに、国民精神が剛健であれは。国は益々盛になつて国民生活は益々幸福になる。国が盛になるのも、衰へるのも、専ら国民精神が強いか弱いかによつてきまるのである。我が国は建国以来日尚浅く、今日国民として努力すべきことが甚だ多いのであるが、特に國を思ふ強い精神を養ふことは最も大切なことである。我等は世界の進運と我國の国勢とを知ると共に、益々国を愛し、協力一致して国家のために盡すことを忘れてはならない。[6]

以上の文の内容によって、日本の野望と目的が一目瞭然である。これは単なる神道知識ではなく、神道知識を精錬し凝縮したものである。中学校「国語」教科書全三冊にある神道内容は、全てこのような抽象的な形で存在していた。神道を直接教えるのではなく、神道知識を精神的層面に上昇して、日常生活の行動準則として守るべきと強調した。このような宣伝の効果は、もっと強力的かつ持続的であって、学生たちに対する危害ももっと巨大的かつ徹底的である。

また、運動会を描く文章『体育大会』に「吾等選手一同は、建国の精神に基づき、競技の大道を遵守し、公明正大なる態度を以て、各種運動に臨まんことを誓ふ。」[7]と書かれているように、「建国精神」や「国民精神」を宣伝する文が、教科書の中では数えないほど多い。手紙、年賀状、人を招く広告文などの実用文も多くなった。そして、下冊の教科書には、『回鑾訓民詔書』を収録し、表紙の後に付けた。他に、統計のデータから見ると、時間の流れによって、教科書に入れたイラストレーションは日本化されたことが分かる。例えば、『日本の年中行事』、『東京から』などの文章は日本の生活習慣を教えた。文章に付いた写真も、着物を着る人や日本風の座り方、日本風の建築が多い。更に、中国と日本の歴史上の名人に関する物語を多く設置して、その目的は恐らく青少年に手本を示そうとした。『楠公父子』、『孔子』、『貝原益軒』、『近江聖人』などの文章は、名人逸話を教えるように見えるが、実はこういう人物像から「忠義」や「建国精神」を宣伝したのである。

他の文には、「満洲国」と日本の「友好」関係を歴史の源流を捏ち上げた。「満洲国」の美しい未来を描き続けて、若い世代を励ました。また「建国」、「国旗」、「国歌」などを何度も紹介し、「満洲国」、「我が国」などの言葉が多数出てきた。これは、「満洲国」と中国は別々の両国であるという印象を学生たちの頭に刻むためではないかと考えられる。

四、結語

以上述べたように、中学校の「国語」教科書では、時局教育と軍事教育が多くなり、神道教育が抽象化し、実用性が高いという特徴がある。言い換えれば、「満州国」の中学校の運営目的は、素養や知識の高い人材を育つのではなく、逆に思想簡単、思考能力の弱い「順民」を育成することである。

日本が中国に実行する教育侵略は決して一日にしてならなく、段階を踏んで一歩一歩進めてきた。このように、慎重に編纂された教科書を使って、朝会、暗誦、歌などいろんな手段を結合し、学生たちを「日満一徳一心」「民族協和」「王道楽土」の錯覚に陥させられた。中国の人々の思想を改造し、日本を「親邦」と思い込ませていた。更に、青少年の国家観念を捻じ曲げて、彼らを本当の亡国の民に変えようとした。

最近、日本の一部の学者が、日本の植民地教育が中国教育に与える影響として、客観的な層面から見ると一定のプラスな意義があるという見方を持っている。しかし、これは奴隷化教育の罪を美化する言論である。14年間、大量な人力と物資を投入し東北地区で実行した教育は、完全なる教育體系を作るのではない。これは元の教育体系の基盤を破壊し、消滅する行為である。これらの証拠を見れば、日本の野望は神道と教育の結合を通して、侵略を支える理論を実現し、日本の領土を拡大し、中国を破壊し、更に世界を征服しようとしたことは紛れもない事実であると考えられる。

我々が歴史の真相を披露するのは決して仇を蘇ろうではなく、もっと相手を了解し、両方の共同点を求めることである。「彼を知り己を知れば、百戦危うからず」という諺のように。日本を客観的に扱う若い世代が多くなることによって、中日関係もよくなると考える。

作者简介:符旖恩(1993.2-),性别:女,民族:汉,籍贯:海南省三亚市,学历:硕士在读,专业:日语语言文学。

注释:

[1] 胡慶祝.論偽満時期日本在東北実行的奴化教育.[D].長春:東北師範大学.2006

[2] 武强主編.東北淪陥十四年教育史料(第一輯)[M].吉林教育出版社.1989.P103-104

[3] http://blog.sina.com.cn/s/blog_53f854a50102xfr6.html

[4]竹中憲一编.「満州」植民地日本語教科書集成7[M].緑陰書房.2002.P137

[5]前掲書4.P176

[6]前掲書6.P180

[7]前掲書4.P177

参考文献:

[1]竹中憲一编.「満州」植民地日本語教科書集成[M].緑陰書房.2002年.

[2]村上重良.国家神道[M].岩波書店.1982年.

[3]史桂芳.日本在东北与台湾奴化教育之比较研究[C].北京:団結出版社.2010年.

[4]杨晓.试析东北沦陷时期伪满教育方针的殖民文化特征[J].教育科学.2012.28(5).

[5]斎紅深主编.日本对華教育侵略[M].北京:昆仑出版社.2005.

[6]王承礼主编.中國東北淪陷十四年史綱要[M].北京:中國大百科全書出版社.1991年.

[7]王金林.日本神道研究[M].上海:上海辞书出版社.2007.

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