黄琴
曖昧表現は日本人の普通の心理の反応であり、日本文化の典型であり、日本人のコミュニケ一ション方式の代表である。中国の日本語教科書における曖昧表現を例として日本人のコミュニケ一ション観の分析を行う。この二つの例の分析を通じて、日本人日本文化の特徴が明らかにする。
日本文化 コミュニケ一ションスキル 曖昧表現
文化の学習は日本語教育の大切な内容だけでもなく、日本語教育の発展に大いに役に立つためである。本稿では、日本語教科書『綜合日本語』における曖昧表現を例として、日本文化をいくつの側面から説明する。どうして日本語の中には、曖昧表現はほかの国家より使用頻度が高いか、その形式でいったいどうな意味を表しているのか、それに日本文化のどんな特徴を反応するか、という問題は本論文の主な内容とする。
一、日本人の曖昧表現
言語生活の中で、あるときに話し手が本音を表わしたいが、文化、環境、身分などの制限があるために、直接にそのことを表わせない、あるいは、話したくないことがある。このような思想と表現との矛盾で生じられた特殊な表現は曖昧表現である。
1.省略
日本人の会話には省略の話し方が頻繁に存在している。一般に皆が知っていることを省略し、冗長さのために不自然にならないように省略する。しかし、えんきょうく的に意味を表すために使用される場合もある。これはもっと微妙である。例えば
(1)希望の意味を表す省略
遠足が一日の場合は土曜日、半日の場合は日曜日がいいんですが…
(第二册P.114)
ここでの助詞『が』は転換の意味を表わさなく、あとの内容をはっきりはなさない上に語気を緩やかにする働きを果たしている。
(2)拒否の意味を表わす省略
うちは主人の都合でちょっと…(第四冊、P.84ペ一ジ)
以上の文には話し手は拒否の意味を表わしたいが、動詞を省略して、『無理だ』、『駄目』、『都合は悪い』などの意味を表わす。相手の気持を配慮しながらストレ一に人を拒否しないことにより人間関係の調和を保つことができる。
(3)残念な感じを表わす
残念の意味を表わす場合はいつも『のに』を使って、『のに』に省略を加えて残念な意味がもっと強くなるでしょう。例えば
マスクをしないで出かけるの?行けばいいのに…(第四冊、P.94)
2.間接表現
日本人の曖昧表現のもう一つは間接表現である。発話の文字通りの意味とコンテクストによる意味が一致していない言語表現を間接表現と定義する。例えば、教室で先輩と後輩がいる。窓は閉まっている。先輩は『暑いですね』と言った。後輩はすぐ『わたしが開きます』と言ったあと、窓を開けた。この場合では典型的な間接表現である。
人の誘いと依頼を拒否するとき、間接表現の使用はもっと微妙である。例えば:
一緒に行かない?4時かなんだけど…
4時から…(第四冊、P.268)
3.その他
日本人はある時、丁寧な意味を表すために、ある固定的な慣用語を使用する。例えば、人を招待っして食事をする前に、主人はいつも『なにもありませんが、どうぞごゆっくり召し上がってください』あるいは『これはつまらないものですが…』という表現を使う。また,王さんは劉さんにお土産をあげるばあいは,王さんはいつも『お粗末ですが、どうぞ受け取ってください。』と言った。この二つの例は話し手の謙遜を一層表現する。
要するに、日本人の曖昧表現は含蓄で、微妙である。曖昧表現を通じて、日本人の独特の性格と考え方が窺える。日常のコミュニケ一ションにおいて、日本語学習者は必ず曖昧表現を把握しなければならない。
二、日本人のコミュニケ一ションにおける文化の要素
言語は文化の一部分であり、社会と文化と密接な関係を持っている。人々はコミュニケ一ションこをするときの言語行動は文化によって大きな影響を受けていることになる。従って、生のコミュニケ一ションを使い曖昧と敬語などの言語行動を考察することで、この言語を話す文化的要素が窺われる。
1.日本の『和』と『礼』の文化
『和』の文化が日本に根深く存在している。圣德太子は十七条憲法は第一条に『和を以て貴しと為す』と明記した。争いを避けること、対立を顕在化させないことは古くから日本社会で重視された。『和』の思想と一致しているは『礼』の思想である。礼に則った人間関係、位置関係も和の思想の原点に戻る。礼は人間関係にの潤滑油として、人間関係の心を形にしたものと考えてよいであろう。基本的には如何に相手を慮るかの気遣いから始まる。。日常生活のコミュニケ一ションにおいて、日本人は曖昧表現の使用頻度が高いという理由はこの『和』と『礼』の思想を重んじているからである。
2.日本の『集団主義』
昔から日本人は強い集団主義を持っている。日本の集団ははっきりした共同意識をもつ厳密な共同体として築きあげられた、共同体の中で、個人は集団との衝突を避けるたまに、いつも個人の行動を押さえて、集団全体の利益を考慮する必要がある。その結果、日本人は他人との付き合っているとき、できる限り衝突を回避しようとして、よく曖昧の言葉を使う。それに、そういう集団主義にの中で、日本人に『ウチ』と『ソト』という考えが生まれる。相手との社会関係によって曖昧語の言葉づかいも違っている。
曖昧表現は日本人の普通の心理の反応であり、日本文化の典型であり、日本人のコミュニケ一ション方式の代表である。言語は文化とともに生まれて、文化のキャリア一と交流の工具である。日本語学習者にとって、日本文化の学習は不可欠である。日本語教育者にとって異文化の教育何よりも重大な責任であり、日本語学習者の最終の目標である。
参考文献:
[1]彭广路.守屋三千代.综合日语第二册.北京大学出版社,2005.
[2]彭广路.守屋三千代.综合日语第三册.北京大学出版社,2005.
[3]彭广路.守屋三千代.综合日语第四册.北京大学出版社,2006.
[4]张升余.『日语教学论文集日本語の会話における曖昧表現について』陕西人民出版社,2001.
[5]佐藤慎司.『リテラシ一ズ』第4卷1号.くろしお出版.2007.