严雪燕 祝 葵 牟 鑫
(北京林业大学 中国 北京 100083)
武光によれば「神道」について以下のように説明している。「神道」という言葉は中国の『易経』や『晋書』の中にみえるが、これらは「神しき道」という意味である。これは日本の神道観念とは性質が異なるものである。
日本における「神道」という言葉の初見は『日本書紀』の用明天皇の条にある「天皇信佛法尊神道」である。このように、外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものである。
中国では、信仰は「鬼道」、「神道」、「真道」、「聖道」の4段階に進化すると考えられ、仏教は一番進んだ「聖道」にたっしていると信じられていた。一番下の段階が「鬼道」で、『魏志倭人伝』の中にもこの語が出てくる。次の段階が「神道」」である。すなわち、『易経』や『晋書』の中にみえる「神道」という語は、鬼道よりは進んでいるが、まだまだ劣っているという蔑称である。日本における「神道」は中国道教の 「真道」「聖道」といった進化に対して保守的であり、「鬼」が蔑称文字とされても「祈祷」の字を代用するなど、他の宗教の原理主義に近い状態を維持していると言える。また国家神道時代においては聖道に近い状態であったとも言える。
しかし、明治20年代になると、西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始める。明治30年代には宗教学が本格的に導入され、学問上でも「神道」の語が確立した。
民俗学も神道研究の専門分野である。
柳田によれば、そもそも民俗学は、風俗や習慣、伝説、民話、歌謡、生活用具、家屋など古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにし、それを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問である。
人間の生活には、誕生から、育児、結婚、死に至るまでさまざまな儀式が伴っている。こうした通過儀礼とは別に、普段の衣食住や祭礼などの中にもさまざまな習俗、習慣、しきたりがある。これらの風習の中にはその由来が忘れられたまま、あるいは時代とともに変化して元の原型がわからないままに行なわれているものもある。民俗学はまた、こうした習俗の綿密な検証などを通して伝統的な思考様式を解明する学問でもある。
神道はほかの大部分の宗教と同じ,自然の信仰から生まれている。そのため厚い生活の気配がある。民俗学にとって、重要な参考相手だ。神道については、誕生から育児、結婚、死に至るまで関係してくる。そのような通過儀礼と神道との関係について分析するのが、神道における民俗学的研究である。
神道は太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つ宗教である。日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰?自然信仰を基盤とし、中央や地方の政治体制と関連しながら成立した。
なお、神道には明確な教義や教典がなく、『古事記』、『日本書紀』、『宣命』といった「神典」と称される古典を規範とする。森羅万象に神が宿ると考え、天津神?国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直を徳目とする。他宗教と比べて現世主義的であり、神と信奉者との間の連体意識が強い、などといった特徴がみられ、その根幹にあるものは森羅万象や祖霊、死者への畏敬の念である。
神道と仏教の違いは、神道は神話に登場する神々のように、地縁?血縁などで結ばれた共同体を守ることを目的に信仰されてきたが、仏教は個人の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきた点で大きく相違する。
神道は日本国内で約1億600万人の支持者がいると『宗教年鑑』には記載があるが、これは神社側の自己申告に基づく数字である。約85000の神社があると言われている
神道の発展にともなって、日本人の生活に影響を及ぼすようになった。明治時代以前までは、神仏混淆があり、日常生活においてそれほど影響はなかった。また、農民にとって神道とは、夏祭りや秋祭りなどが行われる集いやお祭りの場にすぎなかった。また都市の住民にとっても単にお祭りなどや願い事を祈る場でしかなかった。しかし、神道が国教的な色彩を帯びた明治以降、神道は生活の全ての場に影響を及ぼすようになった。
教育の場においても同様である。何かことがあると、生徒は神社でお参りをするようになった。敗戦後そのような国家神道は前述したように、社会の中から姿を消したが、日常生活の中では後述するように根強く残っている。
神道は、日本文化?日本社会の根幹をなす心の型、習俗で宗教ではない。
むかしから存在している神道は現代まで、もう政府と経済を支配することができないが、中国の儒教と同様、種々な领域で、日本人の考え方に影響している。敗戦前までは、神道は政府の政策として強制されたが、現在ではそのような強制はないが、日本社会の意識は神道を基にしていると言っても過ぎない。神道が無くなると、全ての日本精神的支えは倒れる可能性が高いともいえる。
だから、現代社会における神道の存在は必要だともいえる。神道は、宗教というより風俗習慣や日常生活の心の支えである。日本人の生活において、神道的なものを全て禁止するならば、実に生活は空疎なものになるだろう。また、日本人が自覚しないほど神道は現代社会の隅々まで浸透しているともいえる。
神道的行事が存在することで季節感を得たり、地域社会全体が団結できたりする。さらに、複雑で不安な現代社会における日本人の心のよりどころとして、神道が現代社会において存在意義がある。
[1]光誠.神道[M].青春出版社,2010.
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