孙妍秋
摘 要:关于日语中表达目的的“ために”和“ように”有不少先行研究,但是以语料库为素材的研究很少。大部分学者选择根据先行成果和自身的语感得出结论,再举例证明这些结论。本文以从《中日对比语料库》得到的数据为基础,对表示目的的“ために”和“ように”的相关先行研究进行了验证。
关键词:ために ように 句法分析
一、先行研究
关于动作主语的同一性,如《日本语句型辞典》(グループ·ジャマシイ编2001年)所述,以“ように”的形式表示目的时,主节与从属节的主语可以相同也可以不同,而以“ために”的形式表示目的时,主节与从属节必须为同一主语。
关于目的节的谓词种类,前田3指出“ために”和“ように”前可使用动词及动词的否定形式,形容词只可以用于使用“ように”的情况,“ために”前面使用名词的情况也较多。目的节谓词为动词时,ために”前大多接意志动词,而“ように”前大多接非意志动词。前田也考察了目的节谓词为动词的否定形式的情况。目的节的谓词为否定时,使用“ように”更为合适,但是也存在使用“ために”的情况。接否定的情况下,“ために”前一般接自己能够控制的动作,而“ように”接的是自己不能控制的动作。并且,在强调使这种否定的状态以更加积极态度实现时,比起使用“ないために”使用“ないように”更为合适。
从助词“は”和“も”的接续来看的话,前田指出,目的节前接“は”和“も”只可用于使用“ために”时,而使用“ように”时,目的节前是不可以接“は”和“も”的。
二、考察
本次的考察,理论方面以参考前田的研究为主,数据方面使用了《中日对译语料库》中收录的《挪威的森林》和《五体不满足》这两部作品的例句。分别输入“ために”和“ように”检索,“ために”的用例有97例,“ように”的用例有444例。这其中,除去表示目的以外的其他用法的例句,“ために”的有效例句为87例,“ように”的有效例句为29例。
(一)目的节与主节的主语考察
首先,将“ために”和“ように”目的节与主节动作主语的同一性作比较,结果如表一所示。
如表一所示,使用“ために”的例句目的节与主节的动作主语全部一致,使用“ように”的例句目的节与主节的动作主语一致的情况也有,不一致的情况也是存在的。这里试举几例。
(1)十一時になるとレイコさんが僕のために昨夜と同じようにソファ﹢を倒してベッドを作ってくれた。そして我々はおやすみのあいさつをして麏灯を消し、眠りについた。僕はうまく眠れなかったのでナップザックの中から懐中麏灯と『魔の山』を出してずっと読んでいた。(11点,玲子放倒沙发,仍像昨天那样为我做了张床。接着我们道过晚安,熄灯就寝。我上不来睡意,从帆布包里掏出电筒和《魔山》,闷头读下去。)
(2)もちろん鋻をでっちあげるためにあの子自分で全部それやったのよ。ブラウスにわざと血をつけて、ボタンちぎって、ブラジャーのレスを破いて、一人でおいおい泣いて目をまっ赤にして、髪をくしゃくしゃにして、それで家に帰ってバケツ三杯ぶんくらいの嘘をついたのよ。そういうのありありと目に浮かぶわよ。(不用说,都是那女孩子为了无中生有自己搞的鬼:故意往衬衫上抹点血,扭掉衣扣,撕去胸罩的花边,独自把眼睛呜呜哭红,头发抓得乱七八糟,然后才回家足足捏造三大桶谎言。那情景我一闭眼就浮现出来。”)
中目的节“レイコさんが僕のために”翻译为“玲子为我”,主节“ソファーを倒してベッドを作ってくれた”翻译为“放倒沙发做了张床”省略的主语是“玲子”,主节与从属节为同一主语。(2)中目的节“鋻をでっちあげるために”,翻译为“那女孩子为了无中生有”主节为“あの子自分で全部それやった”翻译为“自己搞的鬼”,二者主语都为“那女孩”。
(3)彼女たちは鳥小屋のとなりにある小さな納屋の中に人って餌の袋とゴム·ホースを出してきた。直子がホースを蛇口に夏つなぎ、水道の栓をひねった。そして鳥が外に出ないように注意しながら檻の中に入って汚物を洗いおとし、レイコさんがデッキ·ブラシでごしごしと床をこすった。水しぶきが太鷸の光に眩し輝き、孔雀たちはそのはねをよけて檻の中をぱたぱたと走って逃げた。(她们钻进鸟舍旁边的小仓房,拿出饵料袋和橡胶软管。直子把橡胶管接在水龙头上,拧动开关,然后在注意不让鸟跑出的同时进入栏内,清洗脏物。玲子用硬刷“嚓嚓”地刷洗地板。飞溅的水珠在阳光下闪闪耀眼,孔雀们生怕溅到身上,在栏里“扑扑通通”地一阵逃窜。)
(4)直子は今龝どうしているだろう、と僕は思った。もちろん眠っているだろう。あの小さな不思議な世界の鶞に包まれてぐっすりと眠っているだろう。彼女が辛い夢を鈯ることがないようにと僕は祈った。(直子现在做什么呢?是在睡觉吧?是在那不可思议的狭小天地的暗影中安然入睡吧?但愿她别再陷入痛苦的梦境。)
(3)目的节为“鳥が外に出ない”翻译为“鸟跑出的同时”,动作主语为“鸟”,主节的动作主语为“直子”。(4)的目的节为“彼女が辛い夢を鈯ることがない”,目的节动作主语为“她”,主节的动作主语为“我”。
从例句分析来看,使用“ように”时,主节与从属节动作主语可以一致,也可以不一致。而使用“ために”时,主节与从属节的主语必须一致。
(二)目的节的句法特征考察
本节调查分析了“ために”和“ように”的前接成分的句法特征,结果如表二所示。
如表二所示,“ために”的目的节谓词为名词和意志动词3,而“ように”的目的节谓词全部都为非意志动词。这里试举几例。
(5)「僕のためにわざわざ薄味でつくったの?」(“为我特意做这么清淡?”)
(6)「その分、これを使ってクラスのために仕事をしないか?」(“那么,你可不可以用这个机器为班级做点事情呢?”)
例句(5)中目的节的谓词为“僕”,例句(6)中目的节的谓词为“クラス”,二者都为名词。
(7)もちろんこれはすごく単虄化した説明だし、そういうのは私たちの抱えている問題のあるひとつの部分にすぎないわけですが、それでも彼の言わんとすることは私にもなんとなくわかります。私たちはたしかに自分の歪みにうまく龢応しきれないでいるのかもしれません。だからその歪みがひきおこす琫実的な痛みや苦しみをうまく自分の中に位置づけることができなくて、そしてそういうものから遠離るためにここに入っているわけです。ここにいる限り私たちは他人を苦しめなくてすむし、他人から苦しめられなくてすみます。(无须说,他这种解释完全是粗线条的,涉及的只是我们身上所有问题中的某一个的一部分。尽管如此,他话中的含义我还是若有所悟。我们或许果真未能自然而然地顺乎自己的反常特性。因此才无法确定由这种反常特性所引发的痛苦在自身中的位置,并且为了对其避而远之住进这里。只要身在这里,我们便不致于施苦于人,也可以免使别人施苦于已。)
(8)ボクにも、その問題は付いてまわった。とくに、両親は小学校への壁が最も厚いものと感じたようだ。義務教育を受けるために、こんなに苦労をするとは、夢にも思わなかっただろう。(对于我来说,当然也有这样的问题。我的父母为我的上学,可谓费尽心机,联系一个能够接收我的学校真像要穿破一个厚厚的墙壁。我要接受义务教育,我要像正常孩子那样上学,为此父母所受的难为,简直想像不到。)
例句(7)和例句(8)的目的节谓词分别为“遠離る”与“受ける”,分别翻译为“避而远之”与“接受”,这两个词所表达的都是动作主体可以控制的动作,二者皆为意志动词。
(9)「私若いころね、プロのピアニストになるつもりだったのよ。才能だってまずまずあったし、まわりもそれを認めてくれたしね。けっこうちやほやさして育ったのよ。コンク﹢ルで優勝したこともあるし、音大ではずっとトップの成蟽だったし、卒業したらドイツに留学するっていう鋻もだいたい決っていたしね、まあ一点の曇りもない青春だったわね。何をやってもうまく行くし、うまく行かなきゃまわりがうまく行くように手をまわしてくれるしね。でも変なことが起ってある日全部が狂っちゃったのよ。(“我年轻时,打算成为一名职业钢琴家来着。才能也还过得去,周围人也都那样认为,听的夸奖话可多得着哩。音乐会上拿过名次,音乐大学里一直名列前茅,毕业就去德国留学也大体定了。可以说,真是一帆风顺的青春时代。干什么都一帆风顺,即使不一帆风顺,周围人也都会设法使我一帆风顺。但出了一件怪事,整个世界在一天里就颠倒过来了。)
(10)「何もないよ。ずっと同じだよ」それから僕は約束どおり緑のことを考えてマスタ﹢ベ﹢ションしてみたことを思いだした。僕はまわりに覄こえないように小声で緑にそのことを鋻した。 ( "没干什么,老样子。”随即,我想起那个约定--想着绿子行乐的事。为了不使旁边人听见,我压低嗓音讲给绿子听。)
例句(9)和的目的节谓词为“うまく行く”翻译为“一帆风顺”,这个动作是主体不可控制的。而例句(10)的目的节谓词为“覄こえない”,意思为“不能听见”,别人的听力也是主体不可以控制的。这两个词所表达的都是动作主体不可以控制的动作,二者皆为非意志动词。
(三)目的节否定形谓词考察
本节对“ために”和“ように”的的节否定形谓词进行了调查分析,结果如表三所示。
统计数据如表三所示,下面试举几例。
(10)彼女は自分を守るためには平気で他人を傷つける嘘をつくし、利用できるものは何でも利用しようとするの。そして相手によって嘘をついたりつかなかったりするの。(为了保护自己,她可以满不在乎地任意造谣中伤,利用一切凡可利用的东西。)
(11)しかしそれ以来一週間、彼女からは何の連絡もなかった。大学の教室でも会わなかったし、電話もかかってこなかった。寮に帰るたびに僕への伝言メモがないかと気にして鈯ていたのだが、僕への麏鋻はただの一本もかかってはこなかった。僕はある夜、約束を果すために緑のことを考えながらマスタ﹢べーションをしてみたのだったがどうもうまくいかなかった。仕方なく途中で直子に切りかえてみたのだが、直子のイメージも今回はあまり助けにならなかった。(然而那以来的一周时间里,没得到她任何联系。学校教室里没有见到,也没电话打来。每次回到宿舍,我都注意看有没有自己的留言条,找我的电话却是一次都没有的。一天夜里,为了履行诺言,我开始想着绿子自寻欢乐,但总觉得上不来兴致。无奈,便中途换成直子,结果还是没多大效用。)
(12)僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手でを覆い?そのままじっとしていた?やがてドイツ人のスチュワ﹢デスがやってきて?気分がわるいのかと英語で銔いた?大丈夫?少し目まいがしただけだと僕は答えた? ( 为了不使头脑胀裂,我弯下腰,双手捂脸,一动不动。很快,一位德国空中小姐走来,用英语问我是不是不大舒服。我答说不要紧,只是有点晕。)
(四)关于“ためには”与“ためにも”
本节对“ために”和“ように”后接“は”和“も”的情况进行了调查分析,结果如表四所示。
统计数据如表四所示,可以看“は”与“も”只能接于“ために”后而不能接于“ように”后。这与前田的结论是相一致的。到下面试举几例。
(13)しかし何はともあれ?今のところはそれが僕の手に人れられるものの全てなのだ?既に薄らいでしまい?そして今も刻一刻と薄らいでいくその不完全な銢憶をしっかりと胸に抱きかかえ?骨でもしやぶるような気持で僕はこの文章を書きつづけている?直子との約束を守るためにはこうする以外に何の方法もないのだ?(但不管怎样,它毕竟是我现在所能掌握的全部。于是我死命抓住这些已经模糊并且仍在时刻模糊下去的记忆残片,敲骨吸髓地利用它来继续我这篇东西的创作。为了信守我对直子做出的诺言,舍此别无他路。)
(14)本来、椅子は「座る」ものであって、「のぼる」ものではない。しかも、その動作に手は必要とされない。しかし、ボクが椅子に座るためには、よじ登るようにしなければならない。そして、その際には短い手で椅子を押さえることが必要なのだ。そこで、ボクは、「手を使って椅子にのぼりました」と書いたのだ。(本来,椅子都是坐上去的,而且在坐椅子时也根本用不着手的动作。可是,我要坐椅子,则必须用手。首先我必须用两只残臂紧紧搂住椅背,然后弓腰爬到椅面上,再转动身体坐好。所以当老师要求写出手的用途的时候,我一下子就想到了“爬椅子”。)
(15)そうしたメッセ﹢ジを伝えるためにも、この本のタイトルをあえて『五体不満足』という、少々、ショッキングなものとした。五体が満足だろうと不満足だろうと、幸せな人生を送るには関係ない。そのことを伝えたかった。身体に障害をお持ちの方で、この『五体不満足』というタイトルを鈯て、不快に感じた方もいらっしゃるかもしれない。だが、そうしたボクの意図に、理解を示していただければありがたい。(正是为了传达我的这种认识,我才把这本书起名为《五体不满足》。身有残疾的人们,看到这个书名也许会感到不快,但我的本意是好的。如果能得到理解,我将万分感激。)
通过例句我们可以看出“ために”后接助词“は”和“も”使得从属节主题化。这种情况下,对主节的谓词也有所限制,比如以上三个例句分别使用了“以外に何の方法もないのだ”“ しなければならない”“ ものとした”这三个带有评价语气的谓词。
三、结语
以上,通过对表示目的的“ために”和“ように”进行对比分析后,可以得出以下结论。
从动作的同一性来看的话,使用“ように”时,主节与从属节动作主语可以一致,也可以不一致。而使用“ために”时,主节与从属节的主语必须一致。
从目的节谓词的种类来看, “ために”和“ように”前可使用动词及动词的否定形式。 “ために”前面使用名词的情况也较多。目的节谓词为动词时,ために”前大多接意志动词,而“ように”前大多接非意志动词。且当目的节谓词为动词的否定形式时,一般使用“ように”更为合适。接否定的情况下,“ために”前一般接自己能够控制的动作,而“ように”接的是自己不能控制的动作。并且,在强调使这种否定的状态以更加积极态度实现时,比起使用“ないために”使用“ないように”更为合适。
从助词“は”和“も”的接续来看,目的节前接“は”和“も”只可用于使用“ために”时,而使用“ように”时,目的节前是不可以接“は”和“も”的。
本次研究,因为例句数量限制,对形容词只可以用于使用“ように” ,以及目的节谓词为动词的否定形式时是否存在使用“ために”的情况,这两个结论并未能验证。在今后的研究中希望利用更广泛的数据来弥补本次研究的不足。
参考文献
[1] 前田直子.<するため(に)、するよう(に)、しに、するのに目的を表す表琫>[J].「日本語義表琫の文法(下)」,くろしお出版,1995.
[2] 于日平《動作目的表現と結果目的表現》[J].「筑波日本語研究」筑波大学日本語研究室,1997.
[3] 李旭光《中国褧者にとっての意志動詞と無意志動詞》[J].本学大学院,1995.