1.はじめ
正月は過ぎ去った年のことはすべて清算し、気持ちを新たにに、希望や夢をかなえたいものである。お正月を迎える準備は年末に入ってからするのが普通である。12月になってから、歳暮などを購入するための買い物客が多くなり、なんとなく気ぜわしさ感ぜられる。年末に大掃除をして、対联を貼る習慣がある。大晦日で、夜、家族全員そろって家でご馳走を食べたり、春節の交歓会を見たりして過ごす。今日では簡素化の傾向が目立ち、家で手つくりの代わり、多くの人びとがレストランで大晦日のご馳走を食べる。
正月の風俗に対して、地方によって違いがある。私のふるさとは陝西省渭南市白水県で、美しい地方だと思う。本レポートは私のふるさとが正月のいくつかの習慣が簡単に紹介したいと思う。
2、正月においての俗信
1日、2日において、掃除しないほうがいいと言われる。私のふるさとに、もし掃除すれば、年によって家に溢れる「福運」、「幸運」などのことが外に掃いてしまった説がある。
1日、昼食の前において、祖先を家で祭らなければならない。しかし、その場合、女は祀らなくてはいけない。その理由は婆さんと爺さんに訪ねて、彼らも言えないようだ。これは、ある程度で、日本の「女人禁止」とほぼ似ていると思う。なぜならば、ともに女性の地位が相対的に低下したことを示す。
7日、「栓魂面」といううどんを食べる習慣がある。「栓魂面」は魂を繋いだうどんで、「安生面」とも呼ばれる。主に平安を求めるのだめだ。正月に幽霊は年と呼ばれる獣に脅されて走って、人の魂を連れて行く恐れがある。だから、「栓魂面」を食べらなければならない。そして、この日に外出しないほがいいと言われる。これは、幽霊のせいだろう。
12日から15日まで、四日間において、村にいる子供たちは灯篭をあげる習慣がある。私が子供の頃、、紙で中にろうそくに挿した燈篭をあげって、友達と一緒に村のどころどころに走回った。非常に賑やかだった。そして、16日「碰灯」をしなければならない。「碰灯」というのは、灯篭をお互いにぶつかて、ボロボロにさせった。しかし、「一人っ子政策」によって、子供が少なくなって、そのうえ、都市化過程が早めって、いま、村にいる子供がそんなに多くない。さらに、現在の灯篭はほぼプラスチックで、電池入れのものだ。今の村は平日は言うまでもなく、正月にもそんなに賑やかではないと思う。
15日は元宵節である。家族全員が集まったことの象徴である。この日、どこでも灯篭を飾って祝って、「汤圆」を食べなければならない。「汤圆」というのはもち米の粉で作る団子である。そのほかに、元宵節について、私のふるさとに家で全ての電灯をつけて、家の中に明るくさせる。電灯をつけるばかりではない、「花馍」の上に、ろうそくを挿し、部屋をもっと明るくさせる。「花馍」というのは小麦で花のようなまんじゅう、普通のまんじゅうより、ちょっと大きくである。
23日、私のふるさとに「燎干」という活動を行う習慣がある。「燎干」というのは、家々は门のまえに篝火をつけて、子供だけでなく、大人でも「燎疳了燎干净,一年四季都没病」という話をしながら、篝火の上をまたぐことである。篝火をまたぐのは、火に悪い運、悩み、不順などを連れて行かせて、翌年にすべてのことが順調に進みたいからだ。人々は自分の生活が期待に満ちていたが、生活はいつも意にかなうことはないだろう。そこで、火の神に助けてもらて、災いを転じて福となせ、新しい年の幸福と健康を祝う。この日、子供にとって、もう一つ期待すべきことがある。それは「面疙瘩」である。「面疙瘩」っていうのは形で大豆に似ていて、小麦で作り物である。それは幼年時代の私にとって一番おいしいものである。
1日から15日まで「本命年」になった人は私のふるさとに赤い服をはくことだけではなく、赤い布で包んでいるお金を交差点で捨てる風俗がある。中国での「本命年」は日本の「厄年」とほぼ似ていると思う。人間の生命や生活の健全と安定を損なう出来事が起こりやすく、厄難に遭うため諸事に慎み深く仕舞わなければならないとする年齢。厄年は普通、男が25歳と42歳、女は19歳と33歳である。「本命年」は旧暦によって十二年ごとにあった年で、「槛儿年」とも呼ばれる。この年になった人は安全と安定の恐れがあるので、いろいろな風俗が生まれていた。例えば、赤いベルトを締めて、赤い下着をはくこと。私のふるさとに人々は赤い布で包んでいるお金を交差点で捨てて、こうすれば、厄難を避けることができると信じている。
3.まとめ
一昔前は正月は子供にとって魅力的であった。お年玉をもらえるだけではなく、新しい服をはくことができる。しかし、今日に子供たちの小遣いがたり、平日新しい服を穿かれる。だから、彼らにとって、正月は平日とは違いがないだろう。近年、正月の雰囲気が徐々に薄れてきている。現代人にとって、正月は休暇を楽しむ機会のひとつに過ぎず、海外旅行などを楽しむ人も増えてきている。
社会の発展に伴って、時間の移り変わりに従って、多くすれば多くの俗信が悠久の歴史に消されてしまった。俗信はすべて意味のない「迷信」として片付けてしまうことには問題があろう。中国で「信すればあり、信しなければなし」ということわざがある。俗信に対して、すべて信じてはいけないが、全部捨てはいけないだろう。
作者简介:
杨小芳(1992.02-),女,汉族,现就读于西安外国语大学日本文化经济学院2015级日语专业。主要研究方向:翻译学。
(作者单位:西安外国语大学日本文化经济学院)