『落窪物語』について「善」の考察

2017-04-20 10:27邵胜男
魅力中国 2016年34期
关键词:人間少将物语

邵胜男

資料に調べて、世界でシンデレラについてのストーリーは700種類といわれている。そんな膨大な数字が、世界では各民族人々がそんな話題に興味をも持ていると示される。そのようなストーリーは人間関係の価値を含むにより、古代以来各民族の人々に好きな作品になている。日本の『落窪物語』には、継子いじめを主題とする作品で、伝記性は影をひそめ、写実性がいちだんと強められている。仏教の「勧善懲悪」の物語と思われる。また、落窪の善良を見える。本論文は落窪の姫君の性格をめぐって、あこぎとの善の点を比較して分析しようとする。

「善」は 、道徳的な価値としての良さ。道徳的に正しい事、多くの人が是認するようなもの。善とは社会的な規範に是とされる存在、行為などである。宗教の角度から見ると、西洋思想では「善」の反対概念は「悪」であるが、東洋の仏教思想においては「善」の反対概念は「煩悩」である。分析にから見ると、すなわち、仏教思想では「善」は心の問題である。落窪の善は主な東洋の仏教の思想を体現して、あこぎの善は人間性の道徳的な暖かいものを代表して、西洋思想の善と思う。

1.落窪の姫君について

「書名は、女主人公が寝殿の放ち出での、なた一間なる落窪なるところに住まわされ、落窪の君といわれたところ刈られた 。」落窪の姫君は主人公として存在して、すべての人物が落窪をめっぐて展開している。ところが、内容を読んだ後、落窪は受身というような立場にあると思う。その点は落窪の性情に関係がないわけでわない。

まず、落窪はきれいな美人である。世界では、すべてのプリンスとプリンセスの恋愛ストーリーの通り、ヒーローの女性は必ずきれいな容姿をもている。これはストーリーが展開しつづける先決条件であるらしい。少将は帯刀に、まだ妻もおいでにならず身分の高い人の姫君のことなどを人に話させて、お聞きになって、そのうえ少将様はたいへんな色好みだとうかがっていますいうような、落窪とはじめ見ると、横になっている人が姫君らしい、白い衣の柔らかくなったと見えるのを着て、掻練の綿入れを、腰からしたに引きかけて、横になっているので、顔は見えない、頭の形、髪のかかりぐあいは、とても美しいと見ているきれいな美人だたから、落窪の恋文をやりとりして、愛し合って結婚した。

次は、落窪姫は頭が切れる、腕がたくみ、心がやさしくて、もっとも最高のメリットが善良である。第一巻には、おおよその性質はしっかりしていて、琴などを習わせる人があれば、とてもうまくなると思われる。姫君が六、七歳になられたころに、母君が習わせておおきになったままに、箏の琴を上手にお弾きになるので、北の方の生んだ十歳ほどの三男が琴に夢中になっているといって「この子に教えなさい」と、北の方がおっしゃるので時々教える。つれづれ暇にまかせて裁縫を習ったので、たいへん上手にお縫いになる。これからみると、落窪は頭がきれる、腕がたくみである。北の方は心は卑しくて姫君をさびしく住まわせておいでになることなどをしていた、北の方の生んだ十歳ほどの三男が琴をちゃんと教えるからみると、落窪は心やさしいである。そんなメリットは最善の方面を体現している。

2.あこぎについて

あこぎは最初に落窪の母君の生きておいでになった時から召し使っている童女の、気のきいた女で、後見と呼んでお使いになられる。姫君と後見は同情しあって片時も離れないということである。三の君は蔵人の少将と結婚した後、北の方の命令で三の君にただ召しだしてしまう。後見という名は不都合だというので阿漕と名前をおつけになる。

その後、少将は落窪を救て二条の邸で、阿漕は女房になって衛門という。あこぎは前文の中で重要な地位を占める。第一巻と第二巻があこぎのことを詳しくてすばらしくて描くで、主要なものの地位を奪い取るのような存在すると思う。

あこぎもきれいな美人である。「後見は、髪が長く美しいので、三の君の方にただ召しだしてしまう」 。それは少將の家来で帯刀と結婚したの先決条件する。そのきっかけおかげて、後の部分で落窪と少将が結婚できる条件を提供される。次は、第一巻と第二巻野内容を読んだ後、あこぎは頭がいい、能力がある、気が強い、また、学問がある。落窪の仕えているさまざまなことから見ると、それぞれのメリット中に、善も体現している。

3.二人の性格の「善」を比較

前述によると、落窪とあこぎは「善」のことが見えているが、二人の善は異なるところがあると思う。「善」は 、道徳的な価値としての良さ。道徳的に正しい事、多くの人が是認するようなもの。善とは社会的な規範に是とされる存在、行為などである。宗教の角度から見ると、西洋思想では「善」の反対概念は「悪」であるが、東洋の仏教思想においては「善」の反対概念は「煩悩」である。すなわち、仏教思想では「善」は心の問題である。

落窪の善良は主な東洋の仏教の思想を体現して、あこぎの善は人間性の道徳的な暖かいものを代表すると思う。落窪がいじめるの対象する継子をとして、さまざまなつらいことを被られる。最初に、寝殿の放ち出での、二間なる落窪なるところに住まわされて、納戸に幽閉され、姫君ともいわず「落窪の君と言え」とおっしゃて、かき集めてお縫わせになったて夜も寝ないで縫うほどまで、後見を奪いて、石山寺へ行かなされなくて、衣装を与えなくて、生活器具を奪いて、結婚を禁止され、また、さらには貧しい老中の元へ嫁がされそうになるほどである。

それぞれ悪行が、全部継母一人がしたことである。ところが、落窪は継母について、恨みと復讐ことな心がない。また、落窪は少将道頼とあこぎが継母に復讐することを責める。「あなたはひどく腹黒いのね。私の女房ではなく衛門督 様の女房になりなさい。あの人こそはそのように物を深く思いこみになったり言ったりなさる」とおっしゃる。でも、あこぎは「では私は我が衛門督様にお仕えいたしましょう。私が思ったとおりのことをなさいますので、ほんとうにあなた様よりも我が宝の君と思います」という。これから見ると、あこぎは人間の不平ことを非難されて、正義感をもちている。この善は道徳的な人間性の優良メリットである。

参考文献

[1]秋山虔 三好行雄(2014)新日本文学史 文英堂出版社

[2]長谷悟 落窪物語(第一巻·第二巻) 現代語http://attic.neophilia.co.jp/aozora/htmlban/OTIKUBO1.html

[3]丰子恺(2008) 『落窪物語』 上海訳文出版社

[4]蓝泰凯(1994) 日本古代的一部警世小说《落洼物语》(贵阳师专学报)

[5]石寒(2003) 《落洼物语》中女性形象的比较研究与解读(日本研究)

[6]韩春红(2009) 试析《落洼物语》中侍女阿漕的形象(白城师范学院学报)

[7]庞在玲 万礼(2011) 浅谈日本物语文学名作《落洼物语》(读与写杂志)

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