南京工业大学 齐 珂
「だから」是表示因果关系的接续词,但是在下例中不难看出「だから」已经消失了因果关系的语义,而是作为对话衔接的一种符号,起到了承上启下的作用。
例:A:何持ってんの。/手里拿的是什么?
B:えっ?/嗯?
A:それ。/那个。
B:だから、これ、領収書。いや、みんな、みんな領収書よ。/啊,这个啊,这是收据。哦,都是收据噢。
因此,超出传统语义和句法分析的范畴,在具体的语境中,接续词「だから」被赋予了区别于传统意义的话题展开这一语用功能。本文以出现在小说、电视剧、访谈节目等自然会话中的「だから」为例,具体分析其在不同语境下的语用功能。
开始新话题的「だから」所表示的因果关系较弱,它具有开启新话题的语用功能。在实际会话中也是一种提请听者关注话者讲话的会话管理手段。
(1)A:そういう教育。/那种教育。
B:だめだ。/不行啊。
A:そういう教育。分かった?だから、今日は。/那种教育,你懂吗?其实,今天……
B:はい…/嗯……
A:適当なこと言うけども、君はやっぱりアイドルとかスーパーアイドルだから、ここは放送しないでくれとか、ここはやめて欲しいとかは、後で言ってくれよ。/虽然说的在理,但是你毕竟是偶像,甚至是超级偶像,所以请你过后要告诉我,这儿不可以播,这不要了之类的话。
(2)A:仕事仕事なんて、ヒーヒー言っている奴は、俺に言わせりゃあ、バカバカしくて。/工作工作,一天到晚把工作挂在嘴边的家伙,叫我说你就是个傻瓜。
B:そうさ。俺とお前の生き方の違いだ。/是啊,我和你的生活方式不一样。
A:(どんどん歩く)/(不停地向前走)
B:だから、そんなにつっぱって歩くなよ。/老实说,你不要急冲冲地往前走嘛。
例(1)中A要导入一个新话题,为避免继续之前的旧话题,把「だから」作为开始新话题的契机。察觉到A用意的B通过回答「はい」来表明他赞同A更换新话题的态度。例(2)通过「だから」引出与之前不同的新话题,具有开始新话题的语用功能。
为使听者明晰先行讲话者的主张,或讲话者有意识向听者重复其并没有完全理解的话题,而使用「だから」,反复强调先行发话或话题。
(3)A:ねえ、何つくってんの?/唉,做什么呢?
B:ポテトグラタン。/奶汁烤土豆。
A:えっ、何?/啊,什么东西?
B:だから、ポテトグラタン!/唉呀,是奶汁烤土豆!
(4)A:どこに隠している?/藏在哪里了?
B:分からない。/不知道。
A:早く出せよ。/快拿出来吧!
B:だから、分からない。/唉呀,我真不知道!
这里的「だから」从语境角度很难解释为带有因果含义的接续表达方式。话者A通过听者B的表情或语调等判断出听者B尚未听清自己的讲话,如例(3);或者听者B并没有理解自己讲话的实际含义,如例(4)。因此,话者A认为有必要重新向听者B说明或再次强调,于是利用「だから」重复了自己的讲话。「だから」就被话者赋予了「さっき言ったように/刚才说过了」「さっき言ったでしょう/这是刚才说过的呀」等潜在含义。
推进话题是一项具有代表性的谈话管理功能。听者正是利用了接续词「だから」终结先前话者的讲话,取得话语权从而推进自己的讲话。另外一种情况,「だから」没有出现在会话双方交替讲话中,而是出现在话者自己的讲话中。这种情况下的「だから」是通过其表达的因果关系将话者自身的讲话串连起来并向下推进。
(5)A:政府の政策ははっきり北欧型とは違いますが、社会の性格が共同体的なものを残しているということに関してはどうでしょう。例えば、日米経営論争なんかでよく言われるのは、日本では一定の集団のメンバーシップを持った人々の間では、完全な互助と一種の平等主義があるってことです。/政府的政策很明显不同于北欧类型,关于社会性残留着共同体利益的问题怎样呢。例如,在日美经济论争中经常会提到,在日本具有一定集团资格和地位的人之间,存在着一种完全互助和平等主义。
B:だからそれはね、こういう言い方が当たっているんですよ。日本の福祉は会社の中にある。/也就是说,这种说法会很合适。日本的福利存在于公司中。
(6)A:お母さんに頼んで、お金都合してもらえば、新しく部屋借りるのに礼金、敷金持ってないんでしょう。だから、ここで暮らすなんて、お兄ちゃん言いにくかったらわたし、連絡してあげる。/新租房子不是没有租金和押金嘛。如果请妈妈帮你筹措一些钱怎么样?在这里生活的事儿,哥哥要是难以启齿的话,我来帮你联系妈妈。
B:よせよ。金のことで家に電話なんかするな。/不必了,钱的事不要给家里打电话。
例(5)中的「だから」出现在会话双方的讲话交替过程中。B在讲话开始就用「だから」引领了自己要发表的意见,同时也是对A所提疑问的回答。虽然B讲话中的「だから」没有强烈的逻辑因果关系,但是在讲话管理这一语用功能中它已成为取得讲话权、推进讲话的语用手段。
例(6)中「だから」没有出现在话题交替转换处,而是在A的同一段连续讲话中。「新しく部屋借りるのに礼金、敷金持ってない」是前项的原因,「ここで暮らすなんて」作为后项的结果,通过「だから」将前后两项以因果关系连接起来,将A的讲话向下推进了一步。
在双方会话过程中听者会努力倾听话者的讲话并给予配合,使会话顺利进行。在特定语境下,话者的讲话会存在某种潜在含义也就是隐藏在表面语义之下的“言外之意”。听者虽然理解了话者讲话的表面意义,但是对于特定语境下的潜在含义尚不理解或不能确定时,往往会通过「だから何?」「だからなんですか?」「だから…?」等表达方式进一步询问对方,理解或确认潜在含义。同时,也显示出听者努力配合话者、对话者的讲话给予高度关注的积极交际态度。
(7)A:いや、ほら、この間来てたじゃん、良子ちゃん。/喏,前几天良子不是来了吗?
B:来てたよ。/她来了。
A:「来てたよ」、来てたって。/“她来了”,就是说来过了对吧?
B:だから、なに?/你到底想说什么?
A:いや、ほら、俺に会いに来てたんだなぁ。/哎呀,她是来看我的啊。
(8)A:…女房がさ、入院したんだ。/我老婆住院了。
B:…
A:胃がんだって…/说是胃癌……
B:フーン…/嗯……
A:聞いてみたけど転移しててな、この夏越せないだろうって…/听说已经转移了,这个夏天都恐怕熬不过去。
B:だから…?/那会……?
A:…
例(7)中A将「良子がこの間来た」的事告诉给了B。B在得知此事后用「だから」询问事情的结果并催促A继续讲话,直到确认「良子が自分に会いに来た」的潜在含义后结束话题。例(8)在「だから」后面的讲话被省略,B通过「だから」旨在询问A接下去要传达怎样的信息或意见。
终结可以分为两类:一类是终结一个完整的话题从而结束一段谈话;另一类是终结话者的先行讲话。
(9)A:あのこと?あのことなら、なんとも思っていなくってよ。ただ私、びっくりしただけだったのよ。だってあまり突然なんですもの。本当にそれだけよ。/那件事吗?要是那件事,我真的没有多想啊。只是很吃惊而已。因为这太突然了,真的就想这么多。
B:私ほんとうはうれしかったのだわ。/那我太高兴了。
A:じゃ、許して下さるんですね。/这么说,您原谅我了吧。
B:ほんとうになんとも思っていませんわ。だからもう、こんな話はよしましょう。/我真的毫不介意。所以不要再提这件事了。
(10)古代哲学は実体性のないところに実在性を考えることができなかった。従ってそこでは、死も、そして孤独も、あたかも闇が光の欠乏と考えられたように、単に欠乏を意味するに過ぎなかったであろう。しかるに近代人は条件によって思考する。条件によって思考することを教えたのは近代科学である。だから、近代科学は死の恐怖や孤独の恐怖の虚妄性を明らかにしたのでなく、むしろその実在性を示したのである。/古代哲学由于没有实质内容就不会考虑现实性。因此死亡和孤独就像缺乏光照的黑暗,单单只是意味着匮乏而已。然而现代人是根据条件来思考问题的。也就是说现代科学教会人们根据条件来思考问题。总之,现代科学不是要搞清死亡和孤独的虚妄性,而是要揭示其实际意义。
例(9)是A和B的一段谈话。最后B用「だからもう、こんな話はよしましょう」终结了此番谈话,一个完整的话题到此结束。此种「だから」可视为谈话终结的标志性符号,出现在谈话结尾处。例(10)是一段非对话性质的篇章,虽不是你来我往的交际性会话,但也可视为书面性谈话。在传统语法意义上,语段末尾出现的「だから」含有较强的因果语义,使得这一语段中的先行话语与结尾语处于逻辑因果关系中。在语用功能上,「だから」具备了结束先行谈话的作用,被话者赋予了「このように/综上所述」「要するに/总而言之」等终结语义。
综上所述,接续词「だから」除了具备因果关系的传统语法意义外,在动态谈话进行中,起到了开始新话题、重复旧话题、推进话题、追问讲话和终结话题等语用功能。在实际会话交际中,「だから」被话者淡化了逻辑因果语义,成为会话管理的一种语用标记。通过「だから」的使用让双方的会话变得更流畅、更和谐,从而达到预期交际目的。