大连理工大学 李光赫 张北林
汉语中的“好像”和日语中的「ようだ」意思和用法类似,都表示不十分肯定的判断或感觉。既有表示“推量”和“样态”的用法,也有表示“传闻”的用法。
“样态”指说话人叙述所观察到的样子或印象,与说话人的判断不同。而表示“推量”的“好像”表示说话人根据观察到的样子或印象做出的判断。可以说“推量”是一种判断,换句话说“推量”是“不确切的判断”。因此,“样态”和“推量”在本质上是不同的,“样态”是做出判断(“推量”)之前的阶段。
“好像”所表示的“样态性”和“推量性”,彼此颉颃抗衡,根据与其搭配的副词才能判断其含义。与“看起来”、“看上去”等词语搭配时,一般表示“样态”,而与 “看来”、“看样子”等词语搭配时,表示“推量”的含义比较强。
下面首先对比一下表示样态的“好像”和「ようだ」:
1. 当“好像”表示“样态”的时候,常与“看起来、看上去(見た目には、見たところ)”等词搭配,表示外表的样子。
(1) 她那合上的浓密睫毛,看起来好像是半睁着的黑眸子。(《雪国》)/閉じ合わした濃い睫毛がまた、黒い目を半ば開いているように見えた。(『雪国』)
(2) 也许是什么节日,盛装的菲律宾男女,笑容满面地穿梭来往。看上去,他们对我这么个危险人物,好像一点也不在意,我认为这是因为我没有带枪。(《野火》)/祭でもあるのであろうか、着飾った比島の男女がにこやかに往来していた。彼等は危険人物たる私に少しも気がつかないように見えた。私はそれは私が銃を持っていないからだ、と判断した。(『野火』)
2. “样态”是指说话人观察到的样子或印象,因此后句可以否定该内容。也就是说,前句叙述“样子或印象”,后句可以做出与其相反的判断。在这一点上“好像”和「ようだ」的用法相同。
(3) 看起来这孩子好像挺老实的,其实并非如此。/この子は一見大人しいようだが、実はそうではない。
(4) 看上去好像要下雨,实际上并没下雨。/見た目には雨が降るようだが、実はそうではない。
3. 表示“样态”的“好像”与「ようだ」相同,可以用于表示多个不同(或互相矛盾的)情形或印象的并列。“样态”指说话人观察到的样子或印象,因此可以并列叙述不能明确断定的“样子或印象”。
(5) 我喟叹一声:“好像明白,又好像不明白。”(《挪威的森林》)/僕はため息をついた。「わかるような気もするし、わからないような気もする。」(『ノルウェイの森』)
(6) 好像放心似地,又好像失望似地嘟哝了一声,这才缓缓地举步走进空荡荡的食堂。(《三色猫探案》)/ほっとしたような、がっかりしたような様子で呟くと、空っぽの食堂の中へゆっくりと足を運ぶ。(『三毛猫ホームズの推理』)
汉语中副词“像”与表示“样态”的“好像”意思基本一样,而且与“好像”相同,也可以表示多个不同情形或印象的并列。例如:
(7) 船头和船尾的两个船夫时时交换着几声呼喝,像是歌谣,又像行舟的术语,似乎要借此驱走了疲倦。(《霜叶红似二月花》)/へさきとともとで船頭たちが交わす掛け声は、歌のようでもあり、船頭仲間の隠語のようでもあり、それで疲れを吹きとばそうとでもしているかのようでもあった。(『霜葉は二月の花に似て紅なり』)
当然,例(7)把“像”换成“好像”,句子大意也不会发生变化,仍表示“样态”。
4. 表示“样态”的“好像”没有否定形式,即没有“不好像”的句式。表示否定意义的时候,使用“不像”或“好像不……”。例如:
(8) 今天不像要下雨。(今天好像不下雨。)/今日は雨が降るようではない。(今日は雨が降らないようだ。)
5. 虽然“好像”没有类似“好像……吗?”的疑问形式,但表示“样态”时可出现在疑问句中。这一点与表示“样态”的「ようだ」相似。“样态”指说话人观察到的样子、印象,因此无法断定其真实性。
(9) 太后没有忽略小燕子的表情,提高了声音问:“还珠格格好像有点不服气,是吗?”。(琼瑶《还珠格格续集》)/皇太后は小燕子の表情を見逃さなかった。すぐ声を高めて「還珠格格は少し信服してないようだが、そうなのか」と聞いた。(笔者译)
(10)“中国的文明史好像有两千年呢,是吗?”泰国姑娘问。(《人民日报》1995年10月)/「中国の文明史は二千年あるようだが、本当ですか」とタイ国の娘は聞いた。(笔者译)