黄艺
【摘 要】春节时去寺庙祈福是很多农村人的传统,本文以家乡发生神像损坏后,村民的重视态度为契机,来阐述故乡农村信仰的现状。
【关键词】農村信仰;信仰現状の特徴;信仰存在する土壌
1 はじめに
農村の春節の時、人々が近くにあったお寺や廟に行って、さまざまな祈願を持って、それを叶えてくれる神様の神像の前で、跪いて頼んでみるのはしきたりである。我が古里では、今年のお参りはみんなをびっくりさせたのは、お寺や廟の神像はひとつも例外なく、体のどっちかをめちゃくちゃに潰されたのである。神への尊敬、崇拝などを表すために、民衆が神像を立て直す幾つかの方案を提出した。筆者は民衆のこの事件に対する重視さに気になった。本稿はその事件から我が古里の農村信仰の現状に一応触れてみたい。
農村信仰というと、ここでは、主に農村に土着する風俗や慣習やしきたりなどのことを指している、ある意味で民間信仰とも言えます。ただし、農村信仰のカテゴリーは民間信仰のに及ばない。本稿では一応ほぼ同じ概念として扱います。
農村信仰すなわち民間信仰①は、人々がそれぞれの異なる視点から定義を下された。民間信仰とは国家の管理を受けず、組織化されていない、日常生活の一部として行われる民衆主体の宗教運動である。民俗信仰、民俗宗教とも言う。つまり、人の生病老死、魂や霊魂、出産、成長、育児、結婚、葬送にまつわる習俗、習慣、呪術などを総称した地域社会や集団に属する人の人生、死生観や運命観から生まれたもの。文化人類学における死生観や運命観に起因する儀式、祭り、お供え、祈祷、占いなどの行為ということ。
また、民間信仰とは一般的にローカルに根を下ろして、歴史的に形成された「神様、幽霊、祖先、聖賢やプラネタリウムに関する信仰と崇拝なのだ。それに民俗宗教とされる学者もいる。ここで言う古里の農村信仰の概念は後ろのと一番近いけど、同じともいえない。中国の民間信仰はもちろん、地方や地域によって、それぞれの特徴がある。だから、同じ民間信仰といっても、同じ意味での民間信仰ではない。
農村の信仰は、単一の仏教、道教などのことをさすのではなく、幾つかの宗教が習合した物のほうがもっと一般的、しかも、その複合性の宗教に仏教や儒教からの影響が大きい。だから、神様や、忠、孝、仁、儀の思想は根強く民衆の心に根ざした。その特質は広範意味での民間信仰と多少違っているのも無理はない。民間信仰は一般的に集団性、継承性、後天性などの特徴があると多くの民俗学者がまとまったが。その神像破壊事件を通して、もう一度農村の信仰現状を見直してみたい。
2 農村信仰現状の特徴
2.1 世間に広く認められ、守られること。
張亮采は「中国風俗史」序列でこのように述べていた。“至有人类,则渐有群,而其群之多数人之性情,嗜好,言语,习惯,常以累月经年,不知不觉,相演相掺,成为一种风俗。而如其风俗者,遂不免为所熏染,而难超出其界限之外…”日本語にわかりやすく言えば、人々は群れによって生きていく。長い年月に伴って、知らず知らずうちに群れのほとんどの人の性情、趣味、言語、それと習慣などに通ってるようになって、ひとつの風習となった。一旦できたら、種のように民衆の心に根を下ろしている。そして、目に見えない形でその中の人々に影響を与え続ける。その無形な力は本当にすごいものである。
例えば、葬式の時、喪服を着るから、納棺、挙哀、墓葬までのしきたりは、中国数多くの地方でも、ほぼ一緒なんだ。家族の人に死なれたら、みんなこのしきたり通りに行われる。こういうしきたりは民衆の生活上の需要に応じて、長い年月にわたって形成された行為や考え方だと思う。鐘敬文教授も「民俗は人類社会集団生活に起源して、ある特定な民族時代や地域で形成され、だんだん発展してきた民衆の日常生活を支えるものである」と提出した。。
それに、農村の民衆に広く認められけど、ばらばらと散漫的に存在しているから、体系性に欠いているのみならず、独自の組織システムも何もない。農家の目から見れば、さまざまな慣習や仕来りは彼らの生活の不可欠の一部である。ある地域の人々をうまく理解するにはその地域に土着している風土あるいは信仰を頭におかないとうまく理解するなんか不可能と言える。所詮、信仰はその社会の下に流れている糸で人間の精神的な支柱なんだから。ところで、中国はずいぶん広いから、農村といっても農村信仰は必ず一緒だとは限らない。
2.2 実用性
農村信仰はその対象、目的、祭祀儀式、また心理も民衆の日常生活と強くつながっている。それは農業文明のつき物だといえる。自然の中で人類がすごく小さな存在だから、その周りのなぞめいた自然社会環境とうまく付き合っていなければならない。つまり、人と人、人と自然、人と神の間には強い絆となって、その精神的な紐でその社会の人々を一緒につながる。そして代々続けている生活様式や社会環境は彼らに現世利益を楽しませる。農業信仰は神様を現実に影響を与えられ、超自然的万能的な存在とする。現実であるいは自分で実現できないことを神様の助けによって叶えてくれると勝手に思い込んだ。結果どうであろうはともかく、信じておけば、悩みや困難などにたち向ける勇気が涌いてくる。これこそお目当てだと思う。
こういう神人関係は社会の各人間関係の基準になって、民衆の生活をうまくできるように働きかけています。
例えば、家には進学する子供がいれば、家長は廟に行って、占いなどして、子供の進学の順調に進めるように祈る。ある願い答えで有名になった廟は時々話題になる。そして、神様からの加護や応援がいただいたら、その家族みんなも勇気を入れて、前向きをもって積極的に努力するようになる。願いを答えてくれたら、神様のことをもっと仰いで崇拝します。答えてくれなかったら、神様のせいだと思わず、自分自身主観的の努力の足りなさに覚悟する。だから、信仰は農村の民衆にとって心の寄り所や精神的な支柱みたいな存在だと思う。それこそ、農村信仰の魅力なんだ。
2.3 地縁的
農村信仰は土着的な宗教として、人々の日常生活や活動で神に対する体験と祈祷密接に関連している。その表現したのは神様に対する畏敬より、むしろ広大な庶民が最も質素な方法と最も原始的な創造力で自分と自分の心との会うことを実現するのである。このような直接体験と自主表現のため、農村の民間信仰は強烈な地縁性特徴があって、主流的な伝統文化の下の「小伝統」になっている。農村信仰の地域性の成因は創立宗教の教派の成因によく似ているーー伝承や需要の多様化は信仰の方式の多様化をもたらした。農村信仰は神霊を地方の保護者にして、ある特定の範囲でだけ働きかけます。その範囲を超えたら、無効になるが、時代に伴ってこの地域でできた神霊は必ずこの地域だけのものではない。経済発展や社会変動の今日こそ、初めて地域的な存在としての農村信仰はだんだんその小さな地域を突破して、社会全体のものになる傾向がますます明らかに表れつつある。
例えば、ある村や地方の人は生計のために村を離れて、都市や別の場所に定居した場合が多い。その人は新たな場所で神像や廟を建て、引き続き信仰するのは一般的である。古里の信仰はまた郷愁にかわって、新たな地域の人々に少しずつ影響を与え、水の模様のように広がるにつれてもともとローカルに存在する風俗、慣習と習合しつつあって、新しい信仰要素とあいまって、継承性と革新性を持って新しい風俗習慣として、無形な形でもっと多くの人間を影響していく。
2.4 巨大な収容性と浸透性
一般に自分の役に立てるものなら、すべて祭る。巫、儒学、道、仏教のお互いに収容する信仰形式になる。民間には「万神図」があって、農村には「万神廟」がある。お寺には道教の仙人を、道教には仏教の神霊を祭るのは珍しくはない。それに農村の信仰は生産、生活、飲食、文化、娯楽など生活さまざまの方面に浸透している。これは他の宗教にはどうしても比べ物にならないことだと思う。
3 農村信仰存在する土壌
近年、農村の若者たちはほとんど非農に就業して、数多くの空っぽな年寄りが出てくる。彼らは精神的な慰めが必要とする。そして、この数年来、農村の医療保障が前より有力であるが、高価な医療費用に比べて有限である。別に有効な治療手段がなくて、信仰に頼って、心理の落ち着きを得ようとする人も多い。また、出世を重視する農村では、空巣になった年寄りが農村信仰を通じて精神の慰めを求めつつ、出世した子女のために幸福を祈り続ける。一方、出世した子女のない年寄りは落ち込んでいて、代を空ける子孫に対する望みはさらに強い、神への祈願もさらに頻繁になる。また、中青年は財あるいは出世を求めることも多い。
終わり
現世利益の追求に夢中する現代人はむやみに自分に役立つことだけを求め、自分でできないことなら、超自然的な力を借りて実現してもらおうという心理は我が古里の農村信仰の存在する基盤であると思う。これを改善するために、政府や個人また教育、医療保障、科学宣伝などの面から努力しなければならないと思う。
【参考文献】
[1]姉崎正治.『姉崎正治集(第2巻)(シリーズ日本の宗教学(1))』[M].クレス出版,2002.
[2]张亮采.『中国風俗史』[M].団結出版社,2013.
[3]哈维兰,瞿鉄鵬,張钰訳.『文化人類学』[M].上海社会科学院出版社,2006.
注释:
①最初に「民間信仰」を定義したのは、姉崎正治である。もともと日本民間に存在する正統組織化宗教と異なる信仰と習慣「原始宗教の生き残ったもの」と「生まれつきの信仰」を含まれるんだけではなく、組織化された宗教からデリバティブするものも含まれるもの。それにウイキペディアでも、このように定義されている。
[责任编辑:田吉捷]