袁媛
【はじめに】死は、感情の根源を揺さぶることである。大切な人が亡くなったことで泣くことは人間として当然のことであるが、泣き方や泣きによって表される意味は同じとは限らない。中国では、葬式で大声で泣くことが亡くなった霊をとむらうことになるが、日本では普通、ハンカチでそっと涙を抑える姿がよく見られる。葬式におけるこうした泣き表現の違いは単純な生理的表現の違いではなく、それぞれの社会構造や文化背景によって形成されているのである。本レポートは、中日両国の葬式における泣きの表現を比較し、それぞれの特徴を分析することによって、その裏に隠されている文化的根源を検討してみる。
【キーワード】中日;葬式;泣き表現
1 泣きの普遍性と多様性
泣きとは一般的に生理現象の一つであると考えられている。「泣く」ということは、悲しみや苦しみや喜びなどを抑えることができず、内側から感情が溢れて、声が出て、涙が出るということである。①この点から見れば、泣きは人間にとって普遍的な現象である。
しかし、人間がどんな場合に泣くか、どのように泣くか、また、泣きによってどんな意味を表したいのかということは、文化的背景によって異なっている。すなわち、泣きは多様性がある。例えば、ある社会で、「泣く」ということは自分の感情を表す適当な方式として、地元の文化に許容されている。しかし、ほかの文化においては、人前で感情を表に出さないことがマナーとして守られ、人間ができるだけ涙を抑える。
文化的背景は子供の時から、人間の感情の表し方に大きな影響を及ぼしている。なぜかというと、赤ちゃんは腹が減る時や痛みや不快を感じる時に泣いて、人の注意を引く。この段階での泣き方と泣きの意味は、どの社会においても同じである。しかし、子どもから少年、青年への成長につれて、人間はだんだん泣かなくなって、泣き方も変わっている[1]。例えば、日本では、「人前では感情を抑えるのが美徳」とされるので、日本人は葬式においても、悲しくて無理して顔に表さない。これに対して、中国人は葬式で悲しみを表すために大きな声で泣く。これから、極めて悲しみに満ちている葬式における泣き方を中心に、中国人と日本人の泣き方とその意味を見てみよう。
2 葬式で泣き叫ぶ中国人
中国の伝統的な葬式においては、「泣き」は非常に重要な一環である。葬式で泣き叫ぶことは当然のことだと思われている。また、儀式としてプロの「泣き屋」(“哭丧队”)という上手に泣く女性に頼んで、泣いてもらうことも珍しくない。農村の伝統的な葬式では、親戚や近所の人は葬式場に一歩入ったとたんに、葬式場にいた遺族たちは号泣し始め、弔問して来た人も号泣しながら、死者の遺影の前に三回叩頭して紙銭を焚いた。次の会葬者が来ると、葬式場にまた号泣が開始した。こうして、儀礼としての号泣が葬式場で繰り返されていた。
中国では、葬式で悲しみを表すのに声を上げて泣かなければならない。泣かない人は薄情者であると思われ、亡くなった人が愛されていなかったことも示され、家族にとって不名誉なことであるという。「泣き屋」はそこで生まれたのである。彼女たちは泣き叫び、他の人も一緒に泣く雰囲気を作り出す。また、忙しすぎて葬式に行けない時にも、代理として「泣き屋」を雇う場合がある。
3 葬式で涙を抑える日本人
葬式において、日本人の多くは泣きたいのを堪えて、涙を流さない。出席者の多くも冷静で、厳粛である。
『送り人』という映画に、こういうシーンがある。山下さんは母親の葬式で悲しいが、涙を抑えて口元をぎゅっと結んで、厳しい表情をしている。奥さんは泣きたいのが抑えられなくて涙が出てきたが、抑えた声で泣いている。葬式が終わってから、山下さんは悲しみを堪えなくて泣いてしまった。芥川龍之介の小説『手巾』に、こういうシーンもある。「ある母親は、自分の息子が亡くなったことを先生に話した時、声が平生の通りであり、目に涙も溜まっていない。その上、口角には微笑みが浮んでいる。話を聞かずに、外観だけで見ると、この母親は家常茶飯事を語っているように見える。先生は偶然、この母親の手巾を持っている手を見た。母親の手が膝の上に乗っていて激しく震えていながら、感情の激動を強いて抑えようとするせいか、手巾をひしと握っている。この母親の顔には、依然として、微笑みを湛えているが、実は、全身で泣いているのである」[2]。こういうことから、日本人は中国人より、はるかに抑制的で感情を表に表さないことが分かる。
以上述べたように、中国人の泣き方は日本人より大げさで、泣きによって表される意味も複雑である。泣いても悲しくない「泣き屋」のように、「泣き」は儀礼の一種に過ぎない。これに対して、日本人にとって、泣きはただ感情の表し方の一つである。口元をぎゅっと結ぶ厳しい表情とか、ひしと握っている手とか、泣かなくても悲しみの感情が表せる。
4 文化的根源
それぞれの社会や文化に許容される泣き方と許容されない泣き方がある。人間の泣き方はその文化的背景に密接な関係がある。これから、中日の葬式における泣きの裏に隠れている文化的根源を見てみよう。
1)中国
(1)儒教文化の影響
中国の葬式はほとんど儒教葬である。儒教はかつてから儀礼を重んじ、葬式も「儀礼」「礼記」「周礼」の三礼によって行われている。『礼記·檀弓上』に「兄弟,吾哭諸庙;父之友,吾哭諸廟門之外;師,吾哭諸寝;朋友,吾哭諸寝門之外」と記載されているように、儒教は泣きを通じて悲しみを表すことを提唱している[3]。葬儀の時に泣く人が多いほど故人の徳が高くなるとされていて、どれだけの供養ができるかはその涙の数によって決まっているという。
(2)宗族を重んじる伝統的な観念
家族員、特に年長者が亡くなったことは宗族に関わる大事なことであるとされる。しきたりとして、葬式で悲しく泣けば泣くほど、死者に対する悲しみと孝行の心を表すことができる。悲しく泣くのは、ほかの家族員に認められ、宗族におけるアイデンティティーを求める方法の一つである。
(3)死生観
中国では、亡くなった人、特に年長者の死はこの世に生きている人から離れることを意味しているわけではない。却って、死んでも子孫を加護し、後世に幸福をもたらす責任を持っている[3]。亡霊が泣き声が聞こえると思われるので、遺族は泣きを通じて亡霊を悼みながら、生きている子孫の幸福のために故人の加護を祈っている。
2)日本
(1)仏教文化の影響
日本では、葬式の多くは仏教葬式である。仏教は死の悲しみより死生を越える宗教的修行を重視する。仏教の葬式においては、亡くなった人を極楽浄土に送るために、泣きの代わりに僧侶に念仏を唱えてもらうことは多い[4]。苦しい現世から極楽に往くという「往生」の思想は日本人の死生観の中で最も重要な部分である[5]。現在の日本人はどのような人間でも、死んだ後神や仏になることを認める。死は次の人生への旅立ちであるから、この人生の最後を静かに送らなければならない。
(2)「人に迷惑をかけない」という常識
日本人は子供の時から「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられている。人を悩ませることだけではなく、人を心配させることも迷惑をかけることである。悲しみを表して泣くことは人に慰めてもらうことを意味し、人に迷惑をかけることであると思われるので、日本人は葬式において、人を心配させないように悲しみを抑える。
(3)武士道精神
「忍耐」や「克己」は、武士道の美徳の一つである。心の中に起こる感情や欲望を意志の力によって押さえ付ける。「感情を表に出さない」というのは立派な武士を評する時によく用いられる言葉である。つまり、自己の感情を出さなく、他人の感情に影響を及ぼさないように配慮することは日本人にとって大切なことである。涙を流さないのは人を心配させないためである。
5 終わりに
以上、葬式における中日両国の泣きの表現を比較した。中国人は悲しみを表すのに声を上げて泣くのに対して、日本人は悲しみを堪えて涙を抑える。中国人の泣きは悲しみの感情を表すほか、儀礼的な色合いがより濃いことが分かる。こうした違いは、単純な生理的違いではなく、宗教や伝統的思想や死生観などそれぞれの文化的背景によって形成されてきたのである。
【参考文献】
[1]崔媛媛.解读哭泣[J].大自然探索,2012.
[2]芥川龍之介.手巾.罗生门:芥川龙之介小说集[M].上海三联书店,2010.
[3]王晓凡.探析中国传统葬礼中的哭泣现象——兼谈中西传统葬礼中的哭泣所反映的文化差异[J].传承,2009.
[4]崔吉成.哭泣的文化人类学——韩国、日本、中国的比较民俗研究[J].开放时代,2005.
[5]徐静文.日本人と中国人の死生観を読み解く:文化の違いに基づき、実践調査を参考に[J].大阪大学リポジトリー,2013.
[6]薛春.论日本武士道精神[J].科技信息(学术研究),2008.
[7]王钦.浅谈佛教对日本人生死观的影响[J].佳木斯教育学院学报,2012.
注释:
①デジタル大辞泉による[Z].
[责任编辑:杨玉洁]